知ったかぶりをするのも煩悩

三蔵「煩悩に分類されている心所の中に”慢”という心所があります。

思い上がった心ですね。

その慢も、七慢といって七種類あるという。

例えばその中の”増上慢”。これは知ったかぶりのこと。

このように、唯識は身近なところにいろいろな煩悩が潜んでいることを明らかにしているんだ。」

八戒「たくさんありすぎて、分かんなくなりそうだな。」

悟空「それでは拙者が説明して進ぜよう。増上慢というのはだな・・・」

三蔵「それが増上慢だっちゅうねん。」

命は無色透明

三蔵法師が白竜と天女に唯識を深く学ぶきっかけになった話をしています。

三蔵「私は自分の出生に少し悲しい想いがあってね、いくら修行をしてもその気持を克服することができなかったんだ。

あるとき唯識を学んでいたら、心の一番深いところにある阿頼耶識は無覆無記、つまり善でも悪でもない、無色透明であると知ったのです。

そのとき長年の霧が晴れたような気持ちになりました。

善いことをしてきた人も無覆無記、悪いことをしてきた人も無覆無記、悲しい宿命を背負っているように見えても無覆無記。

宿命だとあきらめていても命は無色透明なんだと。

それから私は唯識を深く学ぶようになったのだよ。

ちなみに悪いことを繰り返せば、阿頼耶識は悪い香りに染まっていき(熏習(くんじゅう))、悪い行いを生み出す(現行)ことになるよ。勘違いしないようにね。」

白竜も天女も何やら深く考え込んでいるようです。

悟空「俺も孤独で生きてきた宿命から開放されそうです。」

三蔵「あんたは猿のボスやったやろ。」

悟空「すいません。嘘ついてました。」

誰もが持っている信という善の心

三蔵「人の心の動き、心所の中でも大事なものをお話していますが、善という分類にも信という大事な心所があります。

心を清らかにしていく。そのような心を人は持っていると言うんだね。不信であれば人間関係も成り立たないでしょう。

ただ仏教なので知恵が必要です。知恵でもって、そのような心があることを理解していくのです。

そして理解したら、あとは仏様におまかせする。それが信という心所です。

中国に易経という書物がありますが、その中に風沢中孚(ふうたくちゅうふ)という卦があるのです。

この孚という字は”まこと”、すなわち”信”であるとの説明されているんだね。一点の曇りもないまこと。

その意味では、信の心所と通ずるものがあるんじゃないかな。」

一同「俺達の心にも信はあるんですかね?」

三蔵「どんな人の心にも信はあるんだ。」

一同「お師匠様、なんか目が泳いでますよ。」