菩薩様の修行は人々を救うのが目標

悟空「ところで、きみ誰?」

天女「この子は菩薩様のもとで修行をしていて、ドッカク君と呼ばれているの。」

三蔵「ドッカクは独覚のことだね。

悟りを得て阿羅漢になるために修行をされる人たちのことで、教えを聞いて修行を重ねていく人を声聞、一人で悟りを開く人を独覚といいます。」

悟空「きみ、すごいんだな。」

ドッカク「菩薩様から悟りを開くだけでなく、人々を救うことを目標にしなさいと諭されて、そのための修行を続けているところです。

悟空さん、八戒さん、沙悟浄さんも一緒に菩薩行をやりましょう。」

八戒「おいらは極楽でうまいものを食って過ごしたいな。」

悟空「俺は天女ちゃんたちに囲まれて楽しく暮らしたい。」

沙悟浄「わしも同じじゃな」

ドッカク「(小声で)・・・おまえら悟れねえぞ・・・。」

天女「ドッカクちゃん、聞こえてるよぉ。」

気付かない内に煩悩の虜になっている

三蔵「煩悩は三十も取り上げられています。気付かない内に人間は煩悩の虜になっているんだね。

例えば誑(おう)。たぶらかす。地位とか肩書などで自分を大きく見せようとする。」

ドッカク「天女さん、僕は○○商事に努めてるんですよ。」

天女「まあ、エリートですのね♡。」

三蔵「・・・。分かりやすい小芝居ありがとう。

それに諂(てん)。相手に取り入ろうとする。そのために、こびへつらうんだね。」

ドッカク「天女さん、僕もロックバンド○○の大ファンなんですよ。」

天女「まあ、そうですの?お話があいそうね♡。」

悟空「きみら、煩悩にまみれてるな。」

三蔵「人間、ありのままの自分を見せればいいのだよ。」

八戒「ありのままだと、おいら豚ですぜ。」

悟空「俺は猿ですぜ。キーキー鳴いてばかりだと、西遊記の物語成り立ちませんぜ。」

三蔵「・・・。いまのままでいてちょうだい。」

知ったかぶりをするのも煩悩

三蔵「煩悩に分類されている心所の中に”慢”という心所があります。

思い上がった心ですね。

その慢も、七慢といって七種類あるという。

例えばその中の”増上慢”。これは知ったかぶりのこと。

このように、唯識は身近なところにいろいろな煩悩が潜んでいることを明らかにしているんだ。」

八戒「たくさんありすぎて、分かんなくなりそうだな。」

悟空「それでは拙者が説明して進ぜよう。増上慢というのはだな・・・」

三蔵「それが増上慢だっちゅうねん。」

命は無色透明

三蔵法師が白竜と天女に唯識を深く学ぶきっかけになった話をしています。

三蔵「私は自分の出生に少し悲しい想いがあってね、いくら修行をしてもその気持を克服することができなかったんだ。

あるとき唯識を学んでいたら、心の一番深いところにある阿頼耶識は無覆無記、つまり善でも悪でもない、無色透明であると知ったのです。

そのとき長年の霧が晴れたような気持ちになりました。

善いことをしてきた人も無覆無記、悪いことをしてきた人も無覆無記、悲しい宿命を背負っているように見えても無覆無記。

宿命だとあきらめていても命は無色透明なんだと。

それから私は唯識を深く学ぶようになったのだよ。

ちなみに悪いことを繰り返せば、阿頼耶識は悪い香りに染まっていき(熏習(くんじゅう))、悪い行いを生み出す(現行)ことになるよ。勘違いしないようにね。」

白竜も天女も何やら深く考え込んでいるようです。

悟空「俺も孤独で生きてきた宿命から開放されそうです。」

三蔵「あんたは猿のボスやったやろ。」

悟空「すいません。嘘ついてました。」

誰もが持っている信という善の心

三蔵「人の心の動き、心所の中でも大事なものをお話していますが、善という分類にも信という大事な心所があります。

心を清らかにしていく。そのような心を人は持っていると言うんだね。不信であれば人間関係も成り立たないでしょう。

ただ仏教なので知恵が必要です。知恵でもって、そのような心があることを理解していくのです。

そして理解したら、あとは仏様におまかせする。それが信という心所です。

中国に易経という書物がありますが、その中に風沢中孚(ふうたくちゅうふ)という卦があるのです。

この孚という字は”まこと”、すなわち”信”であるとの説明されているんだね。一点の曇りもないまこと。

その意味では、信の心所と通ずるものがあるんじゃないかな。」

一同「俺達の心にも信はあるんですかね?」

三蔵「どんな人の心にも信はあるんだ。」

一同「お師匠様、なんか目が泳いでますよ。」

私達を悩ませる煩悩の心所のお話し

三蔵「心の動き、心所は51個あると言ったね。

今日はその中でも特に私達を悩ませる煩悩の心所のお話をしよう。

煩悩に分類されている心所の中でも、根本にあるものが貪(とん)、瞋(しん)、痴(ち)。三毒とも言われています。

貪は貪ること、瞋は怒ること、痴は愚かなこと。

別に貪が八戒で、瞋が悟空で、痴が沙悟浄だと言っているわけではないよ。」

一同「あなたが今言うとります。」

三蔵「そして煩悩が生ずるのは痴による、とも言われているんだ。

私達は縁起によって生かされている。仏様の教えを理解できない。そのことから煩悩が生じているんだね。」

心が分かるにつれて不安が減って行きました

三蔵法師が、心に不安を抱えている玉竜と天女に自分の体験をお話しています。

「唯識には心の仕組みが事細かに説明されています。

心は眼、耳、鼻、舌、身、意識、末那識、阿頼耶識と八つの階層で成り立っていると説明しましたね。

その一つ一つに様々な心の動きがあります。それを心所といいます。全部で51個もあるんだね。

心所は大きく六つに分類されているんだけど、例えばその中の一つ、遍行という八つの階層全てで動く心所。

遍行には51個のうち触、作意、受、想、思の五つがあてはまります。

人が何かに触れることによって心が立ち上がり、それを認識して受け入れるまでの五つ。

私は唯識を学ぶ前は、心とは得体の知れない不気味なものという感覚があったけれど、心を事細かに説明してくれている唯識を学ぶうちに、不安が減って行きました。

お二方も、唯識の興味のあるところから、少しづつ学んでみてはいかがですか。」

「わかりました。お師匠様が妖怪に捕まっている間、僕は暇だから勉強してみます。」

「いや、そんときは助けてね。」

私たちは心が繊細なのだ

旅の道すがら、菩薩の身の回りの世話をしている天女も加わって、三蔵一行が世間話をしています。

三蔵「こう見えても、私は心が繊細なのだよ。」

一同「知ってます。」

玉竜「僕もそうです。新しいエピソードのたびに、お師匠様が妖怪につかまるでしょう。」

三蔵「ほっといてちょうだい。」

玉竜「悟空さんたちがお師匠様を助け出すまで、僕はビクビクしながら待ってるんですよ。

僕は生まれつき神経症で、パニック障害もあるんです。」

天女「あたしもそう。HSPで生きづらかったものだから、菩薩様のもとで修業でもしたいと思ってたら、ハローワークで菩薩様の身の回りの世話をする仕事を見つけたってわけ。」

悟空「君ら、さっきから何しゃべってんの?」

三蔵「悟空たちには分からないと思うけど、心が繊細で社会生活に苦労している人は結構いるんだよ。

そうだ、心が繊細な人も少しは安心できるように、唯識の話をしてあげよう。」

唯識を知れば不安が軽くなります

三蔵法師が乗っている馬、玉竜が三蔵に相談しています。

お師匠様、僕は臆病なので、妖怪がいつ現れるかと思うと不安で仕方がありません。

それじゃあね、今日は唯識仏教のお話をしてあげよう。

唯識では、心の奥底、無意識の領域を阿頼耶識(あらやしき)と呼ぶんだ。

そこには、考えたことや経験したこと一切が溜まって行く。そして、その溜まったものが心になるんだね。

楽しい事ばかり考える人は楽しい心になるし、逆に悲しいことばかり考える人は悲しい心になる。

玉竜は不安なことばかり考えているだろう。だから心が不安になるのだね。

すぐには難しいと思うけど、好きなことや楽しいことを考えてごらん。

徐々に不安が小さくなっていくよ。

お師匠様、そうなんですね。少し安心しました。

おっしゃるとおり、やってみようと思います。

今の境遇に楽しく住む

猪八戒が浮かない顔をして、何やらブツブツ言っています。

おいらは天から落ちたときに豚の腹に入ったものだから、こんな姿になって苦労しっぱなしだ。

もっとかっこいい生き物の腹に入っていたら、いい思いができただろうになぁ。

八戒、そんなこと言うもんじゃありませんよ。

私たちが天竺にいただきに行く唯識のお経の中に、菩薩が修業によってどのように変わって行かれたかが書かれた章があります。

その中に、「現法楽住」という言葉があるのですね。

今の境遇の中に楽しく住むという気持ち、それが大切なのです。

以前にもお話ししましたが、私たちにの無意識には、経験や思いなどがすべて蓄積されるところがあって、そこから今の自分ができている。今の境遇ができている。

いくら不平や不満を言っても、それはすべて過去の自分が作り出したものなんです。

たから今の境遇の中に、楽しく住むしかないのですよ。