寺社奉行の親当、弟子の天知、寺男の雲知、雲知の妻おくみが、何やら困った顔つきで話をしています。
「頭の痛いことを占ってみたら、水雷屯という凶卦が出てしもうた。」
「私は坎為水でした。」
「おいらは水山蹇だった。」
「私は沢水困です。」
「なんじゃ、揃いも揃って四大卦難か!アハハハ、こりゃ珍しいのう。」
「一休殿、笑い事じゃないですよ。こっちは困ってるんですよ。」
「こう困ることはない。いつも言っとるじゃろ。吉凶など、四季や月の満ち欠けと同じ、誰の上にも平等に巡ってくるものじゃ。
それに四大卦難など、世間がそう言っとるだけで、いたずらに恐れる必要はないぞ。
運気には、何事もうまく行くので積極的にものごとを進めていい時期があるように、その反対の時期もあるというだけのこと。」
「そういうもんですかね。」
「それどころか、わしは凶占が出た方がワクワクするぞ。
吉占だと、安堵してどういう占断だったか忘れてしまうことがあるが、逆であれば、気になっていつも意識することになる。
実際に険難にあったときなど、「ああ、このことか」と理解できて、しっかり記憶に残る。
僧侶や占術家にとってはよいことじゃぞ。
天知、僧侶のお前が恐れていてどうする。」